ヴィヴィアン・ウエストウッド日本公式サイト|Vivienne Westwood

The history of Worlds end

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The history of Worlds end

2018/10/10

ヴィヴィアン・ウエストウッドのルーツでもあるWorlds End Shopが、どのようにキングズ・ロード430番地に誕生したかは、ヴィヴィアンの息子であるベンの話から、以前のブログで皆さんにお伝えしました。

それでは「Worlds End」というお店になる前に、お店の名前が何度か変わっていたことはご存知でしたか?その経緯はどのようなものだったのでしょうか?ベンの話を元に歴史を紐解きましょう。

1971年にヴィヴィアンとマルコム・マクラーレンがお店を構えた時、まずお店の名前は「Let it Rock 」と名付けました。1950年代のロックンロールスタイルであるテディー・ボーイのような服をそこで売り出したのです。1950年代のロックンロールはとても過激で革命的なものでした。そのダンススタイルのあまりのセクシーさに、多くの人たちが衝撃を受けたほどです。例えば、エルヴィス・プレスリーは彼の腰を使ったダンススタイルがあまりにセクシーだからと、テレビでは彼の上半身だけしか映されないこともあったそうです。

テディー・ボーイスタイルの服を作るのは、ロックンロール好きを支援する面では良かったのですが、何も新しいものが産まれないことに気付いたヴィヴィアン達は、1972年にお店の名前を「Too Fast to Live, Too Young to Die」に変えました。そこで彼らはアウトローなバイク集団であるヘルズエンジェルズといったレザーバイカーの服を作りました。

それから1974年に、またしてもお店の名前が変わり、その時は「SEX」と名付けました。そこではPVCやラテックスを使った、フェティッシュやSMスタイルのセクシーなイメージの服を実験的に作りました。当時のキングズ・ロードはとてもバイブラントで多くのミュージシャンやアーティストが通りを歩いていました。

1976年にアメリカのバンド、ニューヨーク・ドールズがロンドンに来たとき、またお店の名前を変え、その時は「Seditionaries(セディショナリーズ)」と名付けました。

「Seditionaries」の名前の由来はThe Act of sedition (治安法)に反対するものでした。この時、初めて既存にはない、オリジナルで完全なスタイルとなる服がデザインされたのです。「Seditionaries」の服と言えば、エリザベス女王の唇に安全ピンを刺したTシャツを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。そのTシャツは、治安法からくる大衆のナショナリズムに反対するアクションの一つとして作成されたものでした。マルコムは、お店の常連客の男の子たちとバンドを作り、そのバンドに「Sex Pistols」と名付けました。バンドのメンバーに「Seditionaries」の服を着せ、新しいスタイルを作り上げたのです。

そしてジャーナリストが彼らの音楽をパンクと呼びました。エスタブリッシュメントに反対するムーブメントとして作り上げたパンクでしたが、当時お店にやってくる若者達は、格好にのみとらわれ、ヴィヴィアン達が真に意味するところを理解する若者達はほとんどいなかったようで、ヴィヴィアンは振り返ってみて、パンクは失敗のムーヴメントだったと言っています。1979年にバンドメンバーのシド・ヴィシャスの死を機にバンドは解散し、パンクも終わり、「Seditionaries」も6ヶ月閉められることになりました。

そして1980年、また新たに完全なデザインで「Worlds end」としてお店が再オープンすることになりました。「Worlds end」 とは、お店があるキングズ・ロード430番地エリアの名前でもあります。当時海賊が本物のパンクロッカーだと思ったヴィヴィアン達は、お店の内装や外観には海賊船をイメージし、床には船のデッキのような板張りを、そして店内は斜めに傾けて、実際に船が揺れる様子を表現しました。加えて13時間を示す、逆回りに回転する大きな時計が店内と店外につけられてお店のアイコンになりました。

「Worlds end」は、それ以来現在もその姿を変えずにキングズロードの顔として存在し続けています。